文学の小道


尾道の文学の小道で詩や歌を紹介

尾道の文学の小道は千光寺山にある石碑に刻まれた詩や句を紹介しています

文学の小道では林芙美子、志賀直哉、松尾芭蕉、正岡子規等の経歴も詳しく紹介しています


千光寺山の展望台横にある案内板です(岩に彫りこみしてます) 千光寺山の展望台横にある案内板です(写真プレ−ト付き)


文学の小道地図    (下記地図の黄色部分の道が「文学の小道」です)
文学の小道はロープウェイ乗り場横から千光寺、市立美術館の周辺に集中してありますから見易いです

林芙美子(はやしふみこ)

大正5年に尾道に移り住んで、尾道第二尋常小学校 (現・土堂小学校)
尾道高等女学校(現・尾道東高等学校) を卒業、上京して苦をしのいで
精進し、昭和4年に出世作「放浪記」を出し、 新進作家として大成した
この碑の筆者の小林正雄氏は小学校当時の恩師である

海が見えた 海が見える
五年振りに見る尾道の海はなつかしい、汽車が尾道の海
にさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように拡
がって来る
赤い千光寺の塔が見える、山は爽やかな若葉だ、緑色の
海、向こうにドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしている
私は涙があふれていた        


十変舎一九 (じっぺんしゃいっく)

有名な弥次郎兵衛、喜多八を主人公とした「東海道中膝栗毛」
の作者です


    日のかげは青海原を照らしつっ
            光る孔雀の尾の道の沖

金田一京助きんだいちきょうすけ

盛岡市に生る、  東大文化科大学言語学科卒
「アイヌの研究」「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」などの著述がある
この和歌は昭和30年尾道に来遊の際の作である

  かげともの おのみちの
         やどの こよなきに
       たびのつかれを
              わすれて いこへり





陣幕久五郎 (じんまくきゅうごろう)

島根県の人で力士を志して尾道に出る、久保町の初汐久五郎の
弟子となったがその人物を見込まれて養子となり、江戸に下がっ
て角力道に精進しついに12代横綱となった
その人格も高潔で引退後は社会事業にも力をつくしたまた

   うけながら風の押す手を柳かな


正岡子規 (まさおかしき)

松山の人で俳誌「ホトトギス」を発刊,俳句革新の大先達となった
この句は、日清の役に日本新聞の従軍記者として尾道を通過した
ときの作で西国寺の三重塔と天寧寺の海雲塔を眺めたものであろう

    のどかさや小山つづきに塔二つ

松尾芭蕉まつおばしょう

寛政4年(1792)10月12日、尾道の俳人達が芭蕉翁百年祭を営
んだこの記念として建立されたのが、この句碑である
長月庵若翁は九州大村藩士堀孫右衛門といい、漢詩文にも素養
があり、芭蕉の顕彰に一生を捧げた人で、芭蕉の生地伊賀国
上野市では芭蕉と共に崇敬されている
この碑は尾道に於ける最初の句碑で尾道の俳諧史研究の貴重な
遺跡で、その記念句集「其蔓集」も遺されている

尚、書は俳人桜井梅室の筆である

   うきわれを寂しがらせよ閑古鳥


     




中村憲吉なかむらけんきち

広島県双三郡布野村の人,アララギ派の歌人でその作風は近代
歌人中、特異な存在であった
後年、病魔におかされ,千光寺山の中腹で病を養っていたが
昭和9年、46才で他界した

    千光寺に夜もすがらなる時の鐘
        耳にまぢかく寝ねがてにける

緒方洪庵おがたこうあん

名は章で備中足守の人で医学に志し江戸に下って坪井信道、
宇田川玄真らに師事し、更に長崎に於て研修すること3年29才
のとき大阪で開業して洪庵と号した
足守藩の侍医となり,ついで幕府の侍医を命ぜられた、文久2年
(1862)の初夏、尾道に来遊したときの作である

    軒しげくたてる家居よあしびきの
          山のおのみち道せまきまで

志賀直哉(しがなおや)

宮城県の人で大正元年の秋から同2年の中頃まで千光寺山の中腹
に居を構えていた
同10年から大作「暗夜行路」を発表、昭和12年に至って完成した
その住居は現存している
この碑は志賀さんの懇望によって小林和作画伯が、特に筆をとられた
ものです

六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく
ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ,又一つ,又一つ
それが遠くから帰ってくる
其頃から昼間は向島の山と山との間に一寸頭を見せて
いる百貫島の燈台が光り出す,それはピカリと光って又
消える
造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す





巌谷小波(いわやさざなみ)

東京の人でおとぎばなし作家として児童文学につくした功は大きい
この句は、昭和7年尾道を訪れた際にこの地の風光をよんだ数句
の中の一つである


      大屋根はみな寺にして風薫る


管茶山(かんちゃざん)

広島県神辺の人で私塾「黄葉夕陽村舎」を開き福山侯の知遇を得
て、廉塾の名は一世に高く頼山陽もここに学んだことがあった
この詩は寛政5年、46才のとき鼓岩に登った際の長詩の一節である
この詩も鼓岩に記されている

  鳴榔 漸く遠く夕陽沈む
      水波始めて恬にして山影深し
   山は皆珍松奇石を雑う
       人は龍鱗を撫で虎額を躡む
    此の石鼕々と踏めば声有り





古歌(こか)

作者の名も伝わらないこの古歌は玉の浦即ち、尾道のみなとを
歌った歌として、ふるくから人々の間に愛誦されている

    ぬばたまの夜は明ぬらし玉の浦に
             あさりする鶴鳴き渡るなり








俚謠(りよう)

いつの頃、誰が作ったともわからないが港尾道で歌われ続けてき
た俚謠のひとつである
千光寺の時の鐘は尾道に生まれ、尾道に育ったものにとっては何
処にいても忘れられないものといわれる
沖合い遙に働いていた船人も、この鐘の音を聞いて港に急いだこ
とであろう

    音に名高い千光寺の鐘は
        一里聞こえて二里ひびく


この他にも詩、句の碑は沢山あります
氏名は左記の通りですこの他にも詩、句の碑は沢山あります
氏名は左記の通りです
徳富蘇峰、 前田署山、 江見水蔭、 山口誓子、 山口玄胴、
河東碧梧桐、 柳原白蓮、 吉井勇、 小杉放庵、 頼山陽、
物外、 他